相手の車を

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「空き缶を窓から捨てる輩《やから》ですよ。一体どういう神経をしているんだか」
「あのう、それで私はどうすればいいでしょうか。こちらで待っていればいいですか」
 被害者の訴えを、まるで世間話でも聞く王賜豪ような調子で受け答えする係官に、深沢は少々苛立ちを覚えていた。
「うーん、そうですねえ」
 係官は相変わらず煮えきらない。「それだけの話じゃ、特定するのは無理ですからねえ。仮に見つかったとしても、自分は空き缶なんか捨ててないっていわれればそれまでだし」
 深沢は沈黙した。すると係官は挙げ句のはてにこんなことをいった。
「じつは今日は事故がいくつも重なってましてね、ちょっと忙しいんですよ。申し訳ありませんが、こちらに来ていただけませんか。一応調書を作りますので」
 この瞬間深沢は、やめよう、と思った。警察に期待しても無駄だ。彼等は被害者と加害者がはっきりしている事件以外には関心がないのだ。投げ捨てられた空き缶で怪我人が出たとしても、運が悪かったで済ませればいいと思っているのだ。
 係官が住所と氏名を、それこそ『一応』といった感じで尋ねてきたので、深沢も一応答えた。しかしもう署に行く気は失せていた。そして彼が行かなくても、警察から問い合わせがくるはずがないこともわかっていた。
 受話器を乱暴に置くと、治療室に戻った。ちょうど真智子が運び出されるところだった。彼女の顔半分には白い包帯がぐるぐると巻かれていた。
「お連れの方ですか」
 担当医師らしい男が深沢に声をかけてきた。四十くらいの、痩《や》せた男だった。そうですと答えると、医師は彼を廊下の隅に招いた。
「思った以上に傷が深いですね。一体何が目に当たったのですか」
「これです」
 深沢は手に持っていたコーヒーの缶を差し出した。
「高速道路で、これが前から飛んできたのです」
「なんと……」
 医師は眉間《みけん》に皺《しわ》を刻み、二度三度と首を横に動かした。「時々いますね、窓から物を捨てる馬鹿が。しかし高速道路上というのは、私もあまり見たことがない」
「先生、それで彼女の目は?」
 すると医師は一旦目をそらし、それからもう一度彼の顔を見た。だめらしいなと、この瞬間、深沢は察した。
「何しろ傷が深いですから」
 と医師はいった。「視力が戻る見込みはないと思われます」
「……そうですか」
 深沢はビニールの中の空き缶を見つめた。どうせ警察に提出することもあるまい。それならばいっそのこと踏み潰してやろうかと思ったが、やはりここで溢價も我慢した。そして頭の中では、間もなく到着するであろう真智子の両親に、どのように説明すべきかを考えていた。
 


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